当宮は、第70代後冷泉天皇の御代に起きた奥州の乱(前九年の役)平定の命を受けた源頼義公が出兵の折、此の大宮の地にさしかかると大空には八条に白雲がたな引いて、まさに源氏の旗印である白旗がひるがえったかに見えたそうです。これは八幡大神様の御守護の印と、無事にこの乱を治めた暁には此の地に八幡神を奉斎することを誓い、武運を祈り奥州に出陣しました。みごと奥州を平常して凱旋のおり誓いの通り、康平6年(1063年)京都の石清水八幡宮よりご分霊を賜りこの地に創建されました。
御祭神 第14代仲哀天皇・神功皇后・第15代応神天皇親子三柱の神を祀り、母と子の強い絆で結ばれ丈夫な子が育つという信仰から子授け・安産・子育ての御神徳があります。
境内の面積は1万5千坪(東京ドーム1個分)の広さがありその広大なことから、秩父の大宮(秩父神社)・足立の大宮(大宮氷川神社)とともに武蔵国三大宮とされ「多摩の大宮」とも呼ばれておりました。
元々御社殿は鎌倉の方角(南)に向いており、江戸城鎮護のため、東向きにされました。現在の御社殿は昭和40年に創建され檜材を用い、本殿・祝詞殿・内拝殿・外拝殿で構成される流れ造りの社殿は都内でも有数を誇り、壮麗ななかにも清楚な佇まいを見せています。