穴八幡宮は康平五年(1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋のおり、日本武尊命の先蹤にならって兜と太刀を納め氏神八幡宮を勧請したのが始まりとされています。
時は流れ、寛永十八年(1641年)宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時から穴八幡宮と唱えられるようになりました。この頃、御神木の松から瑞光を放ち、将軍世嗣誕生に際して色々奇譚のあったことが、たまたま鷹狩の途次に当社に参拝された三代将軍家光公の上聞に達し、穴八幡宮を江戸城北の総鎮護とし総営を命ぜられ、正保三年(1646年)に三代将軍の厄除祈願を執行して以降、幕末まで幕府の祈禱所として代々将軍の信仰も厚く、参詣も数十回に及びました。
幕末期の大火や維新による拝領屋敷地などの上地、大東亜戦争時の空襲など、幾度も罹災いたしましたが、戦後すぐに仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により平成元年より慶安・元禄の江戸権現造りの穴八幡宮設計図を基に御本殿御社殿等の造営をはじめ、平成三年には御本殿が竣工、続いて平成十年には隋神門が竣工され往時を偲ぶ姿に復し引き続きその他の再建や境内地整備に着手しております。
写真の中にある古写真は清水建設株式会社所蔵の嘉永二年(1849年)初代清水喜助により建てられた当社隋神門であります。立派に造られたこの隋神門も残念ながら昭和二十年の東京大空襲により破壊されてしまいましたが、平成元年より始まった境内整備計画の一環で復興しました。当時の資料も戦争で焼けましたが、初代清水喜助の意思を受け継いだ清水建設の宮大工や職人達による変わらぬ伝統技術、そして建築当時の最新技術によって数少ない資料・情報から再現されました。
【公式HP】https://www.anahachimanguu.jp/
お近くにお越しの際は是非お参り下さい。
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